追求される言論責任
「総論」
(主張)
私はジャーナリストも知識人をあまり信用していない。
結局、自分の頭で考えるしかないのだ。
(根拠)
なぜならば、彼らは基本的に言いっぱなしであり無責任だからだ。
ではなぜ彼らはそうなのか?それは言いっ放しでもカネは手に入る一方で、その発言の検証がなされ、誤っていればペナルティを受けるというフィードバックが存在しないからである。正しい発言をするインセンティブが乏しい人間の発言は信用ならないのである。
「駄目知識人の事例」
前半は過去の左翼知識人への批判の本を取り上げる、次にコロナ関連、学者一般への批判を取り上げ、最後に海外の学者等への批判本を取り上げる。
「国内の事例集 左翼編」
保守系(?)教育社会学者による左翼系知識人に焦点を当てた戦後思想史である。
『メディアと知識人 - 清水幾太郎の覇権と忘却』(竹内 洋)
戦後の代表的左翼知識人だったが、長い沈黙の後「日本よ核を持て」と右旋回した 清水幾太郎の知識人としての生存戦略を分析する。
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者 大江健三郎への告発状』
大江健三郎の政治的発言への批判。
『悪魔の思想 進歩い的文化人という名の国賊12人』(谷沢永一)
12人の進歩的知識人を取り上げてその発言を批判する。
これも進歩的知識人批判。
『北朝鮮に憑かれた人々:政治家、文化人、メディアは何を語ったか』(稲垣武)
様々な著名人が北朝鮮を礼賛していたことがわかる。
『ハンガリ-事件と日本: 一九五六年・思想史的考察』(小島 亮)
ハンガリー動乱のときの日本の左翼知識人の言動の記録。
『マルクスに凭れて六十年: 自嘲生涯記 増補改訂新版』(岡崎 次郎)
マルクス学者による自伝だが 後半で著名な左翼である向坂逸郎にマルクスの翻訳で印税を搾取された話がある。
「国内の事例集 コロナ編など」
「海外の事例集」
フォーチュンテラーズ 偽りの予言者たち-ウォール街 メディアと株価の危険な関係
アメリカ金融ジャーナリズム、アナリスト、エコノミストのデタラメさを論じる。
技術予測、経済予測、政治予測、社会予測など様々な予測のダメさを扱う。
一般向け、下のテトロックの業績に依拠して書かれている。
学術書。専門家の予測が以下に当たらないのかよく分かる。
ポストモダン思想家の数学や物理の誤った使用を批判。
ポリコレ、ポストモダン批判。